おまけ

久生十蘭に関連した小ネタとして先日ここ経由でこんな話を知ってちょっとおかしかったのだが、『新西遊記』については橋本治が編んだ国書刊行会の日本幻想文学集成12巻『久生十蘭:海難記』の編者解説に非常に示唆的な記述がある。

『新西遊記』はこの部分だけで十分呆っ気に取られる博物学小説なのだが、久生十蘭の見事さというのは、「この引用がどこまで本当か?」と読者の眉に唾をつけさせるところにある。久生十蘭の引用は、多分みんな本当だろう。がしかし、久生十蘭はその引用を全部自分の文体にしてしまうものだから、この引用がとても引用とは思えない面白さになって、その結果「とても本当とは思えない……」になるのである。河口慧海山口智海に変えてしまう嘘はあまり嘘とも思われず、本当であるはずの引用を嘘にしてしまうところが、久生十蘭の叙述の魅力であろう。
(「解説」、橋本治、日本幻想文学集成12巻『久生十蘭:海難記』、国書刊行会刊、1992年、246P)

正確にいえばここで橋本のいう「引用」は厳密には引用ではなく「資料にもとずく知識の披瀝」だが、小説の叙述というものの魅力がどこにあるかということの明快な指摘だと思う。
というか「チベットの拷問」云々という偏頗なトリビアより久生の小説読んだほうがはるかに面白いのでこの機会にみんな読むとよいと思います。