2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

Péterfy Bori & Love Band『Hajolj bele a hajamba (Labamba)』

やっぱこれはおもしろいわ。 おそらくここを覗くひとの九分九厘までがまったく興味がないと思われるこのハンガリーシリーズだけど、調べれば調べるほどハンガリーのポップカルチャー状況はおもしろい。 歴史的には89年の共産主義崩壊による体制変更があって…

ジャパニーズポップカルチャーとの関連

『Record Straight』のPVを見てもらえばわかると思うが、このビデオあきらかに日本のヒーローもののアニメやマンガの文法を意識してつくられている。特にEniko Hodosiがトリポッドもどきに殴りかかる辺りの一連のシーケンスは完全にそうだが、どうもこのハ…

Neo『Record Straight』

実験的な色彩も強いZAGARに比べるとこのNEOというバンドの音楽性はよりロック寄りでポップなものだ。最新の音源はマキシシングル『Spellbound』になるのだが、ジャミクロワイみたいなファンクナンバーの同曲ではなく個人的な好みと後述する日本のポップカル…

価値判断の留保

私はここまでマンガとそれ以外のもの、それは戦争でも、アメコミでも、表現規制でもなんでもいいが、その間の関係性を論じる場合に当然問題系の設定に応じて必要とされる知識、情報があるはずだと繰り返し述べてきた。だが、そのような必要条件として求めら…

紙屋高雪への疑問

じつは私が紙屋に対して感じる違和感もほとんどこれと同じ点にある。 夏目は漫画批評について、「単純な社会反映論」という謂いで社会反映論そのものを否定する身振りをとってきたが(最近はそうでもないが)、ぼくは、漫画批評には社会反映論というモメント…

表現論の限界

で、肝心の伊藤剛と紙屋高雪の話だが、私自身は双方に対して「それなりに」批判的である。 まず伊藤剛だが、伊藤個人に対する批判は身も蓋もないヤツは『ユリイカ』でも書いたし、より矮小なレベルでは本人に直接いってるのでここでは繰り返さない。むしろ私…

先行する言説状況の参照

個人的な感想を述べれば、今回のユリイカの特集に感じる不満もこの点にある。「マンガ批評の新展開」と銘打ちながら、そこにはマンガ批評言説の過去と現在の状況が明示的に示された全体の見取り図に当るテキストがないのである(この点は前回の特集「マンガ…

「マンガ批評の新展開」のアングル

私見では件の『ユリイカ』「マンガ批評の新展開」で「表現論vs社会反映論」の図式が出来上がった背景にはこれと前後してネット上でおこなわれた『思想地図』1号掲載の伊藤論文「マンガのグローバリゼーション」(とそれを遡ること2年半前のユリイカの前マ…

紙屋研究所と伊藤剛

はっきりいってマジャール語の解読してるほうがはるかに楽しいんだが、石のほうも一段落するはずなので、いちおう義理を果たしておく。

マジャール語対策

よっしゃ、『webforditas.hu』の「Hungarian-English translation」と『MTA SZTAKI』の「Hungarian-English Online Dictionary」の組み合わせで短い文章なら「なんとか意味わかる」トコまでいけそう。しかし、各種翻訳サービスの整備のされ方見ると、この言…

ZAGAR「Wings of Love」

YouTubeでいろいろ音源を検索していてハンガリーのエレクトロニックミュージックのシーンが非常に熱いことをはじめて知った。おもしろそうだと思っていろいろ情報を検索したのだが、この辺に関しては日本語の情報が全然ない。頭にきたのでこのシーンとそれを…

ふたつのモーメント

でまあ、ここまで書けばおわかりだと思うが、私はこの特集で結果的に構築されている「最近になって表現論と反映論の対立が起きてきた」というプロレスでいう「アングル」はまったく根拠のない無責任な虚構だと思っている。それが短絡的、もしくは素朴である…

「マンガ批評の新展開」の話

知ってるひとは知っている話で、この箱の中味を書いているのは小田切博とかいうひとなのだが、その人物が寄稿したので届いた『ユリイカ』6月号「マンガ批評の新展開」をざっと読んだら一冊全体で「表現論vs社会反映論」という図式のある特集になっていて、無…