ふたつのモーメント

でまあ、ここまで書けばおわかりだと思うが、私はこの特集で結果的に構築されている「最近になって表現論と反映論の対立が起きてきた」というプロレスでいう「アングル」はまったく根拠のない無責任な虚構だと思っている。それが短絡的、もしくは素朴であるか否かにかかわらずマンガを語る言説のモーメントとして表現論と反映論という対立軸は潜在的にずっと存在してきたといえばきたし、そんなものはないといえばない。
 このことに関しては「マンガ批評の部外者」として発言している東浩紀伊藤剛との対談「マンガの/と批評はどうあるべきか?」のなかで非常に明快なかたちで示してくれている。

東 それもまた、マンガ批評というよりも批評一般の話ですよね。表現論対反映論というのは、つまり、記号の内的な構造に注目するか記号とその外部(現実)との関係に注目するかという対立です。いわゆるポストモダン派は、ひとことで言えば、記号と現実の関係はきわめて疑わしいのでまず記号の構造を見ろ、と言った。というわけで、『批評空間』派は加藤典洋浅羽通明宮台真司もみな一緒くたに評価しなかった。しかし、九〇年代後半にポストモダン派のヘゲモニーが崩れて、今度は反映論的なパラダイムばかりになった。批評は現実を掴むものという理解が拡がり、、それがいまでも続いている。マンガ批評もそういう大きな流れから無縁ではないということでしょう。
(「マンガの/と批評はどうあるべきか?」、東浩紀伊藤剛、『ユリイカ』2008年6月号、青土社刊、2008年、134P)

 東がいう「ヘゲモニー」がどちらにあるかは正直どうでもいいのだが、この東の発言で重要なのは「批評」が「記号の内的な構造に注目するか記号とその外部(現実)との関係に注目するかという対立」の中で揺れ動いていくものだ、という指摘である。
 この考え方はそのまま夏目房之介『マンガ学への挑戦―進化する批評地図』NTT出版刊、2004年)で示された鶴見俊輔石子順造石子順造石子順石子順村上知彦米澤嘉博、村上、米澤らと岡田斗司夫、岡田と夏目自身といったマンガ批評言説の連なりにそのまま適用することができる。そして、この対立構造は現時点ではそれぞれ夏目(表現論)と大塚英志(反映論)として把握することができるものだ。だからこそ大塚への批判者として表現論の側から伊藤が登場したのであり、私が先に触れた自分の著作で「反映論」であることをわざわざ謳ったのもある意味で伊藤の著書『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版、2005年)のあとのものであることを明確に意識せざるを得なかったからだ。
 要するにこのふたつの対立は常にあったといえばあったのだし、逆に「マンガを語る」という行為を駆動するために常に並存するふたつのモーメントなのだともいえる。方法論的にまったく逆ベクトルなのだから対立はしているし、これらの言説の蓄積そのものを螺旋状の連なりと見るならばそのような対立構造そのものが「マンガを語る」言説それ自体を駆動してきたものだともいえる。当然、このふたつが並存すること自体にはなんの矛盾もない。
 問題は、このようなふたつのモーメントによって織り成される大雑把な布置自体は置き去りにしたまま、この特集の論者たちが現状におけるこの二極の「ヘゲモニー」だけを問題にしていることだ。宮本も杉田も相手こそ主流派であり、自分たちは少数派である、という仮想的な構図をつくって自分の批判(正確にいえば宮本は批判もしてないのだが)の正統性を担保しようとしているように見えるが、コマーシャルな意味でいえばそんなもんどっちも少数派であって、マンガに関する言説で「常に」主流にあるのはバイヤーズガイドやファンブックだし、研究レベルでいえば2006年以降の最大の変化であり、もっとも影響力が大きかったと思われるのは中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』筑摩書房、2007年)、清水勲『戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡 』臨川書店、2008年)といった地味な評伝の出版や小学館クリエイティブによる一連の復刻などのほうである。
 そうしたプラクティカルな認識でもジャーナリスティックな視点でもなく、かといって言説史的な整理の意識もないままに「思う」「らしい」と提示される状況論にははったり以外の意味はない。だいたい宮本さんは読んでもなかったのになに考えてオレの本の影響力が強いといったんだか(w