デンマーク人の視点

 前述したようにこの記事にはメインストーリーの他に四つの囲み記事が設けられている。中でも個人的におもしろかったのは当時のデンマークのひとびとのおそれと複雑な感情がよくわかる「Danes on the Danish Dozen(12枚の風刺画とデンマーク人)」である。
この記事の冒頭、イスラム原理主義者による報復への恐怖からアメリカのコミックス専門誌であるジャーナルの取材にすら実名で答えることを拒否するデンマークアメリカ人の存在が語られている。そもそもカートゥーン掲載のきっかけになったとされる、この種の恐怖、イスラム批判をタブー視する感覚の存在はサルマン・ラシュディ『悪魔の詩』の翻訳者が殺害された事件が未解決のまま放置されている国の人間としてキチンと認識しておいたほうがよい事実だろうと思う。
 ジャーナルの記事なので登場しているひとびとはデンマークアメリカ人やデンマークのコミックス関係者が多くネット上でも読めるアメリカのコミック作家たちの反応との違いもおもしろい。
以下この記事からいくつか印象的な発言を紹介する。まずケンブリッジ大学で美術史の研究中でデンマークのコミックス批評誌『Rackham』(www.rackham.dk)の共同編集人でもあるマシアス・ウィベル(Mattias Wivel)のコメント。彼はこれまでほとんど無害で関心も持たれていなかった「デンマーク人」が一夜にして悪魔の使者にされてしまった事態を「ほとんどシュールだ」という。

 ウィベルはカートゥーンそのものにはほとんど感銘を受けなかった。「3、4枚を除けばダメなマンガだと思いますよ」彼はいう「この手のイスラム揶揄ネタは使い古されてるし、だいたいがくだらない。それにこの12枚のほとんどがへたくそでアイディアもパッとしないでしょう」
「僕はユランズ・ポステン紙のやったことは無分別だったと思いますよ。ああいうマンガをわざわざ集めて攻撃的なステートメントとして見えるように出版しちゃったんだから。だけど、マンガ家ひとりひとりは彼らの限られた才能の範囲でベストを尽くしたかどうか以外で責められるべきではない」
 ウィベルはこの事件はカートゥーンデンマーク政治で高まっている反移民感情に油を注ぐために利用されたのだと見ている。「イライラさせられるのはユランズ・ポステン紙がああいうカートゥーンの出版を決めたのはたぶんデンマークの政治的風潮に迎合するためだろうってことです。あそこではいつもイスラムがネガティブな議論の議題にのぼっているし、EUでは移民法がどんどん厳格化している。そしてそういう方向に社会を誘導しようとしている強い動きがある。これはすでに差別されている少数派への愚かで安易な攻撃です。グローバリゼーションが物事をこんな風に変えてしまうなんて誰も予測できなかったことでしょう」
(「Danes on the Danish Dozen」、Eric Millikin、『The Comics Journal』#275、Fantagraphics刊、14P)

 次にデンマークのメジャーコミックス出版社「ファーレンハイトFahrenheit)」社(www.forlaget-fahrenheit.dk)のオーナーというそれ自体別種の興味をそそるポー・マシアセン(Paw Mathiasen)のコメント。彼もウィベル同様、新聞社の「報道の自由」を認めつつ「自分だったらああはしない」といい「右翼系政党の示唆があったのではないか」とちょっと陰謀論的なことまでいっている。
ただ、このひとも飽くまで自分の立場を一般化するのには慎重でデンマーク国内の言論状況については以下のようにいっている。

 ウィベルとマシアセンはそれぞれユランズ・ポステン紙に政治的な動機があることを示唆したが、もちろんすべてのデンマーク人がこう考えているわけではない。「デンマークのひとびとのこの問題に対する考えは二部されています」マシアセンはいう。「デンマークのペンクラブは分裂し、別な問題では同じ党派に属するような政治家ですらこの問題に関しては意見が分かれています。デンマークのメッセージボードではコミックスファンが二派に分かれて意見を戦わせています。誰もが分裂し、そして不幸なことにこの種の対立の勝者は一番声の大きなもの、デンマークの政治的過激派とムスリム原理主義者なのです」
(「Danes on the Danish Dozen」、Eric Millikin、『The Comics Journal』#275、Fantagraphics刊、13〜14P)

 で、次に登場するのがデンマーク国内で急激に成長している急進派右派政党「ダンスク・フォルクパーティ(Dansk Folkeparti)」の政治家でアーハス大学の情報メディア学部教授のペル・ヨート(Per Jauert)。わざわざこういうひとにもコメントをとってること含めてこの辺うまいなあと思うのだが、ここでヨート教授が語るのは事件後同政党の支持率が急上昇している事実だ(「支持率30%前後で事件後8〜10%増加」だという)。
彼は事件に対するデンマーク首相の対応を高く評価し「彼はこの問題の扱い方について現在攻撃されているが、首相は優秀な政治家としてこうした場合タフガイに見えなければならない」という。この辺それこそマンガみたいだが、このひとの意見はそれはそれで妥当なものである。

「いっぽう、元外務大臣、リベラルな元外務大臣が先ごろ現職の、また自ら所属する党の首相を彼が「OK、君たちには表現の自由がある、だが気をつけてそれを使いたまえ」といったことを理由に激しい調子で非難した。彼のような社会民主主義者や左翼のひとびと、多くの知識人たちは自分たちはマンガによって風刺されてもかまわないが、マイノリティーを風刺するのはダメだ、といっている。これではマンガで風刺をおこないたいなら対象は権力者に限るといっているようなものじゃないか」
(「Danes on the Danish Dozen」、Eric Millikin、『The Comics Journal』#275、Fantagraphics刊、15P)

 彼はまたデンマークイスラムが国内の政治決定プロセスに参画することに対しては賛意を示しており、(ポーズかもしれないが)必ずしも差別的なわけでもない。そして、彼のカートゥーン自体へのコメントは「問題ないんじゃない」程度のものだ。ローズがいうように「デンマークに伝統的によくあるタイプのユーモア」それ以上のものだとは彼も考えていない。この点は国内の政治的保守化に反発するウィベルの「使い古されてて陳腐」という評価もけっきょくは同じことをいっているといえる。
で、この「よくある表現」が大問題になってしまったことにショックを覚える向きも当然ある。それがデンマークのコミックスライター&アーティストギルドの理事フランク・マドセンである。彼はこの問題を過去のデンマークにおけるラジカルな美術表現と比較してこう語る。

15年前デンマークのアーティスト(Jens Jorgen Thorsen)は多くの報道陣の前で駅構内の壁にイチモツを反り返らせたイエス像を描いた」マドセンはいう「それに1970年代半ばデンマークのコミックブックはヒッピーみたいなイエス死海文書をトイレットペーパーにしているマンガを掲載している。当時多少は政治家から抗議があったが、ほとんどのデンマーク人は騒ぎもしなかった。これは私たちが自分たちのユーモアの伝統にプライドを持ち、政治と宗教をごっちゃにしていないからだ」
(「Danes on the Danish Dozen」、Eric Millikin、『The Comics Journal』#275、Fantagraphics刊、15P)

 マドセンはこうしたデンマークの風刺的伝統に基き、描かれた12枚の風刺画を擁護し、さらにその中には編集者の反イスラム的な意図(これをユランズ・ポステンは「ない」と主張しているわけだが)を覆そうとするものも含まれているという。
しかし、ムスリム側に関しては次節で触れるが、じつはこの話のポイントは掲載したユランズ・ポステン紙を含め、ほとんどのひとがカートゥーンの内容自体は問題にしていない点にある。この意味でこの記事の最後のまとめにあたるデンマークアメリカ人マンガ家ヘンリク・レアー(Henrik Rehr)の以下のような見解は示唆的ではないかと思う。

「僕はアレを描いたマンガ家の何人かとは個人的な知り合いだから、彼らの生活が脅かされている現状を不快に思わないでいることは難しい」こうレアーは本誌に語った。「この論争はたまたまカートゥーンがきっかけで始まったけれど、それはただ部屋中に充満してた火薬に結果的にアレが火をつけたってだけだと思う。僕はほとんどのひとは実際には掲載されたマンガを見ずに騒いでると思うね」
(「Danes on the Danish Dozen」、Eric Millikin、『The Comics Journal』#275、Fantagraphics刊、15P)