少女マンガパワー展講演会

 北米、カナダ、南米の各地を巡回し、欧米メディアでも大きな注目を集めた日本の少女マンガをテーマにした展覧会『Shojo Manga! Girls' Power!』の実質的な凱旋展『少女マンガパワー展』。川崎市民ミュージアムでのこの催しの初日である2月16日、アメリカでの展示会企画の発起人であり、キュレーターをつとめたカリフォルニア州立大チーコ校準教授、徳雅美さんの講演会を聞いてきた。
 通常、ここにこうしたレポートをあげることはないのだが、あまりにもおもしろくて刺激的な講演だったので、ここにメモを書き散らしてしばらく放置しておく。展示自体もいろいろ実験的な試みが盛り込まれた意欲的なものなので、期間中にお時間の取れる方にはぜひ訪れることをお勧めする。
少女マンガパワー!― つよく・やさしく・うつくしく ―
 徳さんの専門とキャリアに関しては『Shojo Manga! Girls' Power!』展サイトの「Director's Information」がシンプルでわかりやすい。「三菱化学研究所農芸化学部」勤務10年を経て渡米後、美術教育に転じる、というそれ自体がおもしろいキャリアをお持ちの方である。

 この講演でまず特筆すべきなのは徳さんの話のうまさだろうと思う。見ていて純粋に感心したのだが、市民ミュージアム館内のオープンスペースでおこなわれるこの手の講演では特に聴講目的ではない入館者が頻繁に通りかかる。関係ないお客さんなので大抵はそのまま通りすがっていくのだが、今回の講演に関していえば、けっこうな割合が話に興味を惹かれてそのまま会場で席に残って話を聞いていっていた。大学の講義なんか考えてみてもらえばわかるが、経験上こういうイベントにいってこの逆(聞きに来た客が中座していく)はあってもこういうことは滅多にない。これはたいへんな技術である。
 同行した友人と会場にいらっしゃっていた小野耕世さんが異口同音に「このひとの講義なら受けてみたい」といっていたのだが、まったく同感。小中学校辺りの生徒相手にキチンと話をしてきた教育者はやはり違う。
 で、肝心の内容だが、個人的に興味深かったのは「前置き」として語られた「なぜ北米で少女マンガ展を企画したのか」という話である。徳さんはキャリアを見てもわかるようにもともとマンガを専門に研究していたわけではない。彼女の専門は「美術教育」であって、彼女がマンガに抱く興味の原点も「子どもの描画リテラシーの発達」という自身の専門分野での研究がきっかけになっている。彼女によれば発達心理学における児童の描画行動の高度化は、丸に点を打って棒人間を描いていくようなものから段階的に細部の充実や背景の空間の広がりを取り込んでいくものだという。当日はスライドでご自分のお子さんのものを含めた実際の子どもたちの絵を見せながらこの点が非常に具体的に解説され、模倣の影響や紙というフレームへの意識の発現など全然知らない分野の話でもあるので非常におもしろかった(たまたま同席していた伊藤剛のひとがこの辺の話を質問するかと思っていたら、アメリカでの日本マンガの受容層は云々とかいう関係ない話を聞いていたのでがっかりだ)。欧米ではこうした児童の「描画リテラシー」の発達は年齢階層別に段階的な発達が観察できるとされ、けっこうなパーセンテージ(90%とかそのくらい)でこの結果が同年齢の児童の描画行動に妥当するという。問題は徳さんがこの「年齢階層別児童描画リテラシー」モデルの日米比較をおこなおうとした際、アメリカでは理論に即した結果が得られたにもかかわらず、日本で得られた結果がまったくこのモデルと合致しなかった(30%程度しか妥当しなかったという)ことだ。欧米における発達段階モデルに従えば、日本の児童の描画リテラシーは同年代の欧米の児童のそれに比べるとはるかに高度である場合がしばしば見られる、というのだ。
 この結果に頭を抱えた彼女が日本と欧米のメディア環境の差異として着目したのが「マンガ」の存在である。日本における児童の描画行動の目的にはアニメやマンガを通じたコミュニケーションが大きな割合を占める(この辺の感覚は自分の子どもの頃のことを考えてみればいい)これが児童の描画リテラシーの発達にとって大きな影響を与えているのではないか? というのが彼女のマンガ研究への取り組みの出発点だという。
 これは日本人であり、アメリカで美術教育の現場に携わる研究者であるという彼女自身の専門がもたらしたちょっと珍しい独自性のある観点だと思う。おそらくご自分でも自覚されておられると思われるが、この点に比べれば欧米では欠落した「女性特有のオルタナティブな描画表現メディア」としての少女マンガへの思い入れといったこの展覧会自体のコンセプトは北米でのショーの開催に先行するNYタイムズ「Girl Power Fuels Manga Boom in U.S.」をはじめとする欧米での少女マンガ報道の枠内に収まるものである。ただ、これは講演でも言及されていたが、展覧会と前後して欧米でこうした意味で「Shojo」への関心が集まったことでこの展覧会自体は欧米で大きく注目されることになった。
 講演の後半はこうした各地での展覧会に対する具体的なリアクションとそこでの経験談に移り、このパートでの座談がえらくうまくてまったくひとを逸らさない。会場での苦労話やそこでの出会いに関する悲喜こもごもといった具体的なエピソードを流暢に語り、それでいて合間合間に知り合ったマンガ読者、ファンの少年少女たちへのインタビューを通じた欧米でのマンガの受容層の問題ややおいやBLといたものを含めた女性独自の表現としての「少女マンガ」への注目と期待、具体的な数値を含めたアメリカでのマンガ出版の現状などがちゃんと語られていくので脱帽である。
 特に「アメリカではお金になるとわかれば本気になる」というアメリカのビジネス観はまったく同感。アメリカってのは要するにアンダーグラウンドな「趣味」とメインストリームとしての「ビジネス」しかないような国だ。けっこう大きな比重で語られていたネット上で自主流通している勝手に翻訳されたマンガ「Scanlation」の存在など、要するに「趣味」の領域にあったものが「ビジネス」領域に広がりつつあるのがアメリカでのマンガの現状であり、必然的にこのためのコンフリクトも起こらざるを得ない。
 この点では彼女の観点は若干楽観的に過ぎるかな、と思う点もあって、女性の描画表現という点では数は少ないがアメリカではこれまでもアンダーグラウンド系やオルタナティブレズビアンコミックスなどのかたちでかなり過激なカウンターとしての女性マンガは存在していたのでありその意味で「ガールズポップ」としての少女マンガを単純に「新しい女性表現」と考えていいのか、とかやおいやBLといった「女性のためのゲイ表現」コンテンツが「ビジネス」としてアメリカに持ち込まれることの問題や危険性(この点は質疑で宗教的な問題とバッティングしないのか、といった趣旨の質問が出ていて、非常によかった)はどう考えるのか、といったことを考えはしたが、まあそれはそれである。
 最後の質疑応答もすばらしく的を射たものばかりで(こういうことも滅多にない)最初から最後まで非常に気持ちよく聞けたすばらしいイベントだった。展覧会としてはこれからなので、関係者のみなさんのためにも今後の成功を祈ってやまない。