英米の研究動向の整理

で、本来それをやっていてしかるべき人間が欧米の研究の存在すら知ろうともしないから仕方なく個人で試行錯誤を続けてきたわけだが、最近ようやく英米のコミックス研究の流れについて少しずつ目鼻がついてきた。
その重要な成果のひとつが論文での引用頻度などからアメリカでコミックス研究が本格化した90年前後に発表され、以後の研究の流れを決定付けたと思われる重要論文と目していた三冊の研究書
Joseph Witek『Comic Books as History』(University Press of Mississippi刊、1989年)
M. Thomas Inge『Comics as Culture』(University Press of Mississippi刊、1990年)
Martin Barker『Comics: ideology, power & the critics』(Manchester University Press刊、1989年)
がようやく手許に揃ったことで、これで90年ごろにアメリカでなにが起こっていたかについてようやくきちんと検討することができる。
 
アメリカのコミックス研究はコミックストリップ研究とコミックブック研究がはっきり分かれている。もちろん本によっては両方扱っているのだが、このふたつのメディアは文化的な位置付けが異なるため研究の対象と考えられはじめた時期そのものが異なっているからだ。コミックストリップに関しての研究は古くは40年代から存在し、Coulton Waughの『The Comics』などその頃からまじめなアートフォームとして研究の対象とされてきた。いっぽうコミックブックの研究は50年代半ばのコミックスファンダム形成とともにファン主導ではじまったものであり、現実問題として90年代も後半になるまでコミックステーマの「Book」として出版されるものの主流は批評や研究書ではなく、Mike BentonやRon Goulartのようなコレクターやマニアがコミックスファン向けに書いたガイドブックの類だった。現在ではコミックブック論の先駆とされるJules Feifferの『The Great Comic Book Heroes』(1965年)も基本的にはノスタルジックなファン向けのエッセイである。私見ではコミックブックをおもな対象とする「Comics」をテーマにしたアカデミックな研究書が急増したのは98年ごろからで、以降Amy Nyberg『Seal of Approval』、Matt Pustz『Fanboy and True Believers』、Jeffrey Brown『Black Super Heroes』辺りを皮切りに2000年代に入るとアカデミックな研究書の出版が急増する。
以後のこうした動きを準備したと個人的に目しているのが先に挙げた三冊であり、こういうものが出てきた背景としては1986年からのコミックスブーム、イギリスでのカルチャラルスタディーズの流行とそのアメリカへの輸入、アメリカンスタディーズへの関心の高まり、インターネットの普及などに伴うメディア論と新しいコミュニティー論への社会学方向での需要辺りがあるんじゃないか、という仮説を個人的には立てている。まあ、その辺専門知識がないので仮説以上のものになるとも思っていないのは上記した通り。

そしてここに挙げた90年代アメリカのアカデミックなコミックス研究のメルクマールになったと思われるほとんどのものがじつは同じ出版社から発売されたものなのである。
それが現在のアメリカのコミックス研究の礎を築いたともいえる出版社University Press of Mississippi(UPM)だ。
最近得た重要な知見のもうひとつがこのUPMにおけるコミックス研究ラインの成り立ちを当事者が語ってくれたJeet Heerのブログエントリ「The Rise of Comics Scholarship: the Role of University Press of Mississippi」だった。

海外のコミックス研究を知る必要性

今夏フランスのコミックス研究者、ティエリ・グルンステンの著書『線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート』(古永真一訳、人文書院刊)の翻訳が発売され、続いて近い将来同じ著者によるより包括的な研究書『マンガのシステム』の翻訳も刊行が予定されている。まだかすかな兆しのようなものに過ぎないが、これはたいへん喜ばしいことである。
私はこれまでこのような海外におけるコミックス研究や批評の水位や情報、あるいは海外のコミックスそのものを無視して成り立ってきた日本のマンガ研究・批評の現状がおかしいのだと考えている。
伊藤剛から毎度説教しているようなことをいわれて大変不本意なので再度はっきり書いておくが、そもそも具体的な実体を把握しようともせずに1、2冊本を見かけたりした程度で「日本マンガの独自性」とか「海外のコミックスが日本マンガの影響を受けている」とか本来その辺を知らなきゃいえないようなことを断言しまくってきたのは伊藤自身も含めた日本のマンガ評論家や研究者であって(具体例を挙げろといわれればいくらでも挙げられるが、夏目房之介大塚英志岡田斗司夫宮本大人米澤嘉博他、たいていの論者がやってきたことなので例示自体がほとんど無意味である)自分たちが「すでにいってきた」ことなんだから、現在知らないことが問題なのは当たり前である。オレが彼にいったことなど問題ではないのだ。
そもそも私は日本マンガ学会が設立時に「マンガを総合的に研究する学会は世界初だ」などという戯けたことをいっていた事実に対して深い不信感を持っている。私の知る限りでは70年代末にはフランスにコミックス研究組織は存在していたし(しかもこの事実に関してはマンガ学会理事である小野耕世が当時ちゃんとテキストを書いている)、アメリカでは80年代から草の根レベルで立ち上がり、90年代はじめにはアカデミックにオーソライズされた組織が活動をはじめている。韓国でも90年代半ばにはマンガ学会が立ち上がっていた。
つまり、フランスから約20年、アメリカから10年、韓国からも5年は遅い2001年設立の学会を「世界初」と謳っていたわけで、これを恥としないのは厚顔というべきである。その後実際に学会運営をはじめて具体的な海外との交流ができてからはさすがにこのバカな言明はやめたらしいが、いっていた事実は残る。
 
要するに私が日本の研究者や批評家全般(ブログ論壇みたいな在野のものを含む)に対して求めているのは
「どうこういいたいなら(そのいいたいことについて)最低限知るべきことを知ってからいってくれ」
という以上でも以下でもない。
つまり「日本マンガの独自性」なり「優越性」なりを説きたいなら具体的に海外のコミックスなりBDなりマンファなりと比べたうえで語るべきだし、影響関係を検証したいなら影響を与えたものと与えられたものを特定したうえで傍証を提示しないと検証にならない。
仮にこれを過大な要求だというのなら、私はそのようにいう人物の発言を聞く必要性を単に感じない。事実をもとにせず思い込みを語るだけでは仮にいってることが意見としては妥当だったとしても実際にはテキトーにデタラメをいってるのと大差ないからだ。
 
では、私は「自分は知っている」と主張したいのかといえば、それも微妙に違う。なぜなら私は自分がアメリカに限ったとしても「コミックス研究」の動向や実態について包括的に語れるほど知っているとは思っていないからだ。
知識も情報もゼロの人間と比較して多少知っていたからといってそれはイコール語れるほど「知っている」ことにはならない。
具体的にいえば英米のコミックス研究には大雑把にいって美術史系の流れとカルチャラルスタディーズの影響を受けたメディア論などの社会学系の流れがある。これらの研究を研究として把握するのなら本来その背後にある美術史やカルチャラルスタディーズに関する知見が必要とされるが、私自身にはそうした専門研究の訓練や知識が不足している。
特に社会学系の流れに関しては国内のマンガやアニメについては自身の社会学系の知見を根拠に論じてみせる論者がいくたりもいる(例としては上野俊哉金田淳子森川嘉一郎など)にもかかわらず欧米のこうした動きに対しては興味を持つ気配すらないのはどう考えてもおかしな話である(特にカルチャラルスタディーズの日本への紹介者である上野俊哉が『新現実』の座談会にマンガ研究とは縁もゆかりもないジャパノロジストを呼んで「欧米にはマンガ研究は存在しない」といわせていたのに対しては呆れるのを通り越して怒りを感じた)。
そもそも彼らのような職業研究者が私のような在野の人間より欧米の研究動向について知らないのはそれ自体恥とすべきことではないのか。

知人の災難や「知識」に関連する偏った感慨

都筑道夫の短編集『袋小路』(徳間文庫刊、1993年)に「悪役俳優」という作品が収録されている。
ネタを割ることになるのでどういう話かは説明しないが、主人公は以下のような人物だ。

 雨宮雄一郎は、敗戦後まもなく、芸能雑誌の記者になって、映画の記事を書きはじめ、やがて映画評論家として、独立した。ひところは、テレビ映画の時間の解説もやって、顔も売ったけれど、五十代に入って、長患いをして、仕事をへらさざるをえなかった。還暦をすぎたいまでも、月に一、二本は映画を見て、エッセーは書いているが、現役の批評家とはいえないだろう。当人はそのつもりでも、まわりが認めなくなっている。
 試写会へいっても、昔からの顔なじみはへるいっぽうで、若い男女ばかりが目立つ。はじめのころは挨拶をされて、いくたりかは名をおぼえたが、その連中の書くものを読むと、ほとんどが、映画の現在しか知らない。縦の流れ、横のつながり、歴史的な視野がない。ヴィデオが普及してから、
「これからの批評家はたいへんだ」
 と雄一郎は書いた。
ダグラス・フェアバンクスまでが、ヴィデオになって、生れる前の映画だから、見ていません、と若いひともいえなくなった」
 それが読まれたからではなかろうが、いまでは誰も挨拶をしなくなった。そんなことは、さほど気にならないけれど、試写の帰りにお茶でも飲みながら、話をする相手がいない。それは淋しいことだった。
(「悪役俳優」、『袋小路』、都筑道夫、徳間文庫刊、1993年、83〜84P)

作中、この雨宮という人物が都筑作品によく登場する作者をモデルにした人物のひとり「紬志津夫」と映画についての薀蓄を傾け合うシーンが描かれる。

「やはり、シェエリダン・クラヴの? ああ、思い出した。そういえば、似ていますね。若いのが意地になって、ボスを追いまわすところ。シェリダン・クラヴのボスも、すさまじかった。あのころはちょうど、リチャード・ウィドマークとかダン・デュリエとか、新しい悪役が出たときだから、負けていられないって気が、あったのかも知れませんね、クラヴには」
「たしかに熱演でしたね」
「近ごろのルドガー・ハウアーなんかは、リチャード・ウィドマーク売出しのころを思わせるけど、もひとつおまけが、ついていないでしょう」
「おまけ?」
「ええ、ウィドマークでいえば、あのいやな笑いかた」
「ああ、ハイエナ・ラーフィングね」
「わざとらしいといえば、わざとらしいが、ああいうおまけは、うれしかった。ダン・デュリエなんかも、カンカン帽をうまくつかっていたし……」
「ウィドマークは、インヘラーをつかっていましたね。鼻にあてがって、薄荷を吸い込む小さな筒」
「ぼくはあれを探しに、横浜までいきましたよ。東京の薬局じゃあ、まだ輸入していなかったんで−−けっきょく横須賀で、見つけたんだったかな。得意になって、つかっていたら、友だちが笑ってね。薄荷パイプとおんなじじゃないか、というんです。憤慨したけれど、考えてみれば、もっともでね」
「悪役を小道具で印象づけるのが、当時、はやっていたんですな。ヨーヨーとか、剣玉とか−−ジョージ・ラフトのコイン投げが、最初なんでしょうけど」
「そういえば、『殺られる』ってフィルム・ノワールに、シャンソン歌手のフィリップ・クレイが、殺し屋の役ででて、チューインガムをつかったでしょう」
「ガムをひきのばして、いきなり相手の目に貼りつけてから殺すんでしたね」
「あれ、ひょっとすると、シェリダン・クラヴの真似じゃありませんか」
「そうかも知れない。いや、きっと『明日を待つ男』のクラヴがヒントになっていますね。フィルム・ノワールは、アメリカのギャング映画から、ずいぶん影響をうけていますから」
「テレビでこのあいだ、フランス製のドキュメントをやっていましてね。それにフィリップ・クレイが、解説で顔をだしていた。ごま塩の顎ひげをはやして、すっかり老けていましたよ。シェリダン・クラヴのこと気になりますね。きのうの映画、まだ試写をやるでしょう。もう一度、見てみませんか、雨宮さん。ぼく、宣伝部に電話して、そちらにお知らせします。御一緒しましょう」
「そりゃあ、ありがたい。お待ちしていますよ、紬さん」
 こういう話がしたかったのだ、と思いながら、雄一郎は電話を切った。
(「悪役俳優」、『袋小路』、都筑道夫、徳間文庫刊、1993年、92〜94P)

「相手がわかってくれるかどうかわからない」トリヴィアルな知識の披瀝は本来物悲しいものだ。誰にも理解されない淋しさを前提にするからこそ「わかる」相手に巡りあったときに「こういう話がしたかったのだ」という喜びが生じる。
価値のことは知らないが、知識は共有できたときにこそ意味がある。
その理解や共有があたかも生得の権利であるかのように振舞う傲慢さがオレは嫌いだ。
だが、そんな事をいっても特に意味はないのだし、その嫌悪感すら折り込み済みにしてただ「残念でならなかった」とつぶやいて通り過ぎていく。私は都筑の怪奇小説は理が克ちすぎていてあまりおもしろいと思ったことはないのだが、この短編のそういうたたずまいには心を打たれた。
けっきょくディレッタントの持つべきプライドなどそういうものでしかあり得ないのではないか。

Péterfy Bori & Love Band『Hajolj bele a hajamba (Labamba)』


やっぱこれはおもしろいわ。
おそらくここを覗くひとの九分九厘までがまったく興味がないと思われるこのハンガリーシリーズだけど、調べれば調べるほどハンガリーポップカルチャー状況はおもしろい。
歴史的には89年の共産主義崩壊による体制変更があって急激に西側のポップカルチャー流入したわけだけど、共産主義政権下でも独自のマンガ文化があったようだし、なにより90年からのほんの二十年足らずで日本における60年代、70年代、80年代、90年代の40年くらいのポップの文脈が雪崩を打ったように流入し、それまでの大衆文化や伝統文化と結びついてメルティングポットのような状態をつくりだしている。
コミックスに関してはそのうち改めてエントリにしようと思っているが、音楽においてその混沌状態から生み出されたもっとも洗練された先鋭的な部分が先に紹介したふたつのバンド、ZAGARとNEOだとすると、このPéterfy Bori & Love Bandはより混沌の根っこに近いドロドロした部分をある意味で象徴したバンドだと思う。
すでにZAGAR「Wings of Love」のエントリで述べたようにPéterfy Bori(音は「ピテルフィ・ベリ」辺りか? 表記は日本同様、姓・名の順。もっともこれは芸名だが)は同曲にゲストシンガーとして参加した「アンダーグラウンドの歌姫たち」のひとりであり、この曲は彼女のリーダーバンドのデビューアルバム『Péterfy Bori & Love Band』からのシングル。歌詞がマジャール語なんでなにいってるかさっぱりわからんが、曲はデヴィッド・バーンのソロみたいなワールドミュージックっぽいニューウェーヴポップ。ベリ姉さんのオフビートなコスプレと最後全裸になっちゃうストリップが見られる変てこなビデオが強烈な印象を残す曲だが、じつはこのバンドの音楽性は姉さんのアングラ気質を10倍くらい稀釈してポップなパッケージにまとめたものだった。YoutubeでPVが見られるこのバンドの曲としては他に「Vámpír」があり、これもちょっとフォーキーなポップナンバーという感じのものだが、これに先行するキャリアのものすごさに比べるとえらく洗練されたものだといえる。
ベリ姉さんは本名Péterfy Borbála(音は「ピテルフィ・ベルバロ」かな? 英語読みで「バーバラ・ピテルフィ」ではないかと推察する)といい、本職(?)は劇団「Krétakör Színház」(英訳すると「chalk circle」)所属の女優である。ハンガリー版Wikipediaの姉さんのページと「Krétakör Színház」のプロフィールによれば88年から92年までは「Térszínház」92年から97年までは「Arvisura Company」という劇団に所属、「Béla Pintér Company」の立ち上げメンバーのひとりであり、00年から「Krétakör Színház」の中心メンバーのひとりになっている。これもハンガリー版Wikipédiaの記述によれば、この劇団はブレヒトの戯曲「コーカサスの白墨の輪」にちなんで名づけられたもので、「Krétakör Színház」の公式ページでは「舞台は何のためのものか?」を追求することをそのコンセプトに掲げている。
しかし、驚くべきはその舞台パフォーマンスである。検索かけたらえらく簡単に彼らの公演「W - Workers' Circus」から構成したビデオが見つかったのだが……これが「ものすごくショッキングな代物」だったのだ。いや、18歳以上のひとだけ(w リンクを開いてもらえばわかるが、「白塗りもせずに真っ裸だよ、このひとたち?」「なんか緊縛されたうえに黄色い液体を無理やり飲まされてるよ?」「トイレのうえですっぱの男女が腰振ってるよ?」……という感じ、この舞台の映像は公式サイトの「Gallery」ページでも見られるのだが、他の映像類もあわせて見て判断すると、この劇団、どうも黒テントクレイジーキャッツスターリン第三舞台電撃ネットワークをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたようなパフォーマンスをやってるようなのだ。しかも公式サイトの情報ではほぼヨーロッパ全域で公演をおこなっていてじつはおそろしく評価が高い全欧レベルで有名な前衛演劇集団なのである。シルク・ド・ソレイユとか呼んでるんだから、日本のイベント屋さんも今度はぜひこの人たちを呼んでもらいたい(公演差し止めとか喰らいそうだが)。
ベリ姉さんは他にもAndrás Szökeという監督の映画によく出ているそうなのだが、これについては調べてないのでとりあえず置いとくとして、もうひとつ重要なのがLove Band以前に姉さんが参加していたバンド「Amorf Ördögök」がこれまたハンガリーのポップミュージック史においてエポックメイキングなバンドだったらしいことだ。
例によってハンガリー版Wikipediaの「Amorf Ördögök」から英訳経由のいんちき翻訳で引用すると「1994年に結成され2007年に解散したAmorf Ördögökはシャンソン、ディスコ、タンゴ、バルカントラッドミュージック、レゲエといった幅広い音楽スタイルをミックスしたバンドで、そのスタイルは「ゴチャマゼ」ポップと呼ばれる多くのフォロワーを生み出した。」こんな感じ。ベリ姉さんはこのバンドの結成時からのメンバーで「Krétakör Színház」のほうでもバンドをやってた(上の「ものすごくショッキングな代物」に出てくるバンドのことだろう)05〜06年を除いて中心メンバーとして活動、Love Bandのほうもこのバンドのメンバーが中心らしいので音楽性も「Amorf Ördögök」を継承したものだと見ていいだろう。実際このバンドのほうもYoutubeでかなりいろんな曲をライブ含めて聞けるのだが、じつに変なバンドである。姉さんは参加していないがラップを大胆に取り入れた「Fapados Űrutazás」なんかグルーチョ・マルクス(つーかマリオだな)みたいな髭オヤジがラップやってるだけでかなりおかしい(あきらかにパロディなんだがラップ自体はうまい(w)のに曲自体はポップである。もちろんもっとトラッド/フォーク寄りの曲もある(というかそっちのが多い)が、その辺が激しく入り混じって強烈に化学反応を起こしまくっているのが現在のハンガリーポップカルチャー状況なのだろう。
こういうほとんど野蛮ともいえる感覚は良くも悪くも日本やアメリカのようなポップカルチャー自体が爛熟し「出来上がっている」国の文化からは抜け落ちてしまっているものだろうと思う。そういう意味でPerfumeとかYuiとか(まあなんでもいいんだが)聴いてる普通の子にこの辺の音楽聴いてもらいたい気はするが、まあ無理か(つーかそれ以前にまともに日本語で情報手に入ったり、タワーやHMVで音源買えるようになってほしいんだがなあ)。
すでに自分が知ってる範囲のモノに偏差値つけてみせるほうが受けはいいんだろうけど、やっぱりオレはこういう「なんだかわからない」モノのほうが単に好きだな。
関連リンク:
My Space
http://www.myspace.com/peterfybori
公式ブログ
http://peterfybori.blog.hu/
Wikipedia(Hu):Péterfy Borbála
http://hu.wikipedia.org/wiki/P%C3%A9terfy_Borb%C3%A1la
Wikipedia(Hu):Krétakör Színház
http://hu.wikipedia.org/wiki/Kr%C3%A9tak%C3%B6r_Sz%C3%ADnh%C3%A1z
Wikipedia(Hu):Amorf Ördögök
http://hu.wikipedia.org/wiki/Amorf_%C3%96rd%C3%B6g%C3%B6k
Krétakör Színház公式サイト
http://www.kretakor.hu/

ジャパニーズポップカルチャーとの関連

『Record Straight』のPVを見てもらえばわかると思うが、このビデオあきらかに日本のヒーローもののアニメやマンガの文法を意識してつくられている。特にEniko Hodosiがトリポッドもどきに殴りかかる辺りの一連のシーケンスは完全にそうだが、どうもこのハンガリーのエレクトロダンスシーンは全般的にアニメやマンガといったポップカルチャーの影響下にあるようだ。これは必ずしも日本のものに限らずたとえばNeoの『Everybody come on』のビデオはパワーパフガールズのオープニングの引用からはじまっていたりするのだが、ZAGARが『Taste of Snow』で唐突に怪獣の鳴き声をサンプリングしているのを見てもなんだか知らないけど親和性は高そうだ。NEOなんかライブで「Japan is No1」という曲をやっているくらいである。
この点で興味深いのはWikipedia「Music of Hungary」の項目によれば1999年にFerenc Kömlődyという人物の手になる『Fénykatedrális(Light Cathedral、光の聖堂という意味らしい)』というハンガリーのエレクトロダンスミュージックの歴史を論じた書籍が出版されているようなのだが、このFerenc Kömlődyがハンガリー版『攻殻機動隊』DVDの発売に関わっているらしいのだ。もともとテクノやハウスとSFやサイバーパンクは親和性が高いので不思議ではないといえばないのだが、もと共産主義国で日本ではほとんど現地のポップカルチャー状況がわからない東欧の国ハンガリーでのこうした日本産ポップカルチャーの受容と影響は純粋に興味深い。個人的に東欧からロシアにかけてののコミックス文化は謎だったのだが、どうもハンガリーには独自のコミックス文化の伝統もあるらしい。その辺も調べてみたい。

Neo『Record Straight』


実験的な色彩も強いZAGARに比べるとこのNEOというバンドの音楽性はよりロック寄りでポップなものだ。最新の音源はマキシシングル『Spellbound』になるのだが、ジャミクロワイみたいなファンクナンバーの同曲ではなく個人的な好みと後述する日本のポップカルチャーとの相関関係が感じられる点でよりロック色の強いこの曲を引いた。
このバンドはインディーではなくメジャーのEMI、ワーナーと契約し西欧を中心に英語圏でも音源がリリースされており、ハンガリーのエレクトロニックダンスバンドの中では比較的音源が手に入りやすいバンドのひとつだといえる。もっとも「Neo」と名乗るバンド、アーティストがやたらいてひどく紛らわしいうえ、国内のハンガリー(というか東欧全般)のこの手の音楽に関する情報が皆無に等しいので、私と同様偶然見つけたひと以外はほとんど聞いたことがないだろう。
以下はEMIのアーティストプロフィールから

NEOがその名を世間に知られるようになったのは1998年デビューシングル「The Pink Panther Theme」がリリースされて以降のことだ。このよく知られた映画のテーマ曲のリミックスバージョンは、カナダ、南アフリカそして日本に至るまで全世界の20カ国以上で発売される成功を収めた。
1999年の夏に発売された最初のフルアルバム『Eklektogram』はインスト曲とボーカル曲をともに収めた幅広い音楽性をミックスしたものだ。
2002年末にリリースされたセカンドアルバム『Lo-tech man, hi-tech world』はほとんどの曲がボーカルチューンであり、共作者としてHeaven Street SevenのボーカルKrisztia'n Szu"csがクレジットされている。ネオは当初デュオとして結成されたが、彼らのライブはドラム、ギター、ボーカルを含めたフルバンド編成でおこなわれる。
2003年末にリリースされた映画『Kontroll』サウンドトラックからのシングル「Kontroll」はこの映画がヨーロッパ各国で14の映画賞を受賞したことでこのハンガリー人デュオに国境を越えた知名度をもたらした。
2004年は第二期ネオのはじまりとなった年である。結成時からのメンバーであるMárk Moldovaiが脱退、ひとりになったMátyás Milkovicsは多くのミュージシャンを新規に正式メンバーとして加入させ、ラディカルな変革をおこなった。
2006年にはシングル「Kontroll」がドイツとオーストリアでもリリースされ、この年の年末にはハンガリーのフォのグラムアワードでベストエレクトロニックダンスアルバムに選出された最新スタジオアルバム『Maps for a Voyage』が発表された。
Discography:
The Pink Panther Theme (1998, single, EMI)
Persuaders (1999, single, EMI)
Eklektogram (1999, EMI)
Aiiaiiiyo (2000, single, EMI)
Diskhead (2002, single, Warner)
Lo-Tech Man, Hi-Tech World (2002, Warner)
Everybody Come On (2003, single, Warner)
Kontroll - A Filmzene (2003, soundtrack, Warner)
Kontroll / It's Over Now (2004, single, Warner)
Control (2005, Warner)
Control (2005, single, Warner)
Record Straight (2006, single, Warner)
Maps for a Voyage (2006, Warner)
(「Neo」、『EMI : Home Page』http://www.emimusicpub.com/worldwide/artist_profile/neo_profile.html

いい加減な話でソースがどっかいっちゃったんだが、1995年頃Mátyás MilkovicsとMárk Moldovaiのふたりで活動をはじめたこのバンドはもともとはDepeche Modeのカバーなんかをやっていたらしい。そこから「よりオリジナルな音楽」をやろうと決意し、98年になぜか映画『ピンクパンサー』のテーマのカバーでデビュー(この曲のリミックスバージョンはここから落とせる)。03年公開の映画『Kontroll』のサントラを担当したことで幅広い注目を浴びるも、翌04年Márk Moldovaiが脱退、『Kontroll』ではサポートメンバーだったEniko HodosiとPeter Kovaryのふたり(このふたりは03年まで「The Fever」という別ユニットとして活動)を正式加入させ、次いでGergő Szőcsがドラマーとして加入。4人編成となる。
メンバー各自の担当は以下
Matyas Milkovics - keyboards, programming, vocals
Eniko Hodosi - vocals, guitars, keyboards
Peter Kovary - vocals, guitars
Gergő Szőcs - electro-drumm
しかし、ライブ映像を見るとメンバー全員がそれぞれ「ほぼなんでもやっている」ので、役割が明確なバンドというよりは楽曲によってその辺が流動的に変化するユニットなのだろう。
関連リンク:
MySpace
http://www.myspace.com/theneoworld
(非)公式サイト
http://neo.disp.hu/
*いちおうマジャール語と英語の二ヶ国語対応。ただし、英語のニュースは2006年で止まっている。

価値判断の留保

私はここまでマンガとそれ以外のもの、それは戦争でも、アメコミでも、表現規制でもなんでもいいが、その間の関係性を論じる場合に当然問題系の設定に応じて必要とされる知識、情報があるはずだと繰り返し述べてきた。だが、そのような必要条件として求められる知識はあらかじめ決定付けられているものではあり得ない。
むしろ、ある対象に対する価値判断をおこなうために必要な情報がなんであるかを決定付けるためにこそその問題に対して調べ、検証し、考えなければならないのであって、そのような必要条件が自分のなかで決定付けられるまでは対象に対する価値判断自体は留保しておくべきである。
現在のマンガなどのサブカル批評全体で、このような価値判断の留保をおこなわず、「あらかじめ存在している」自分の価値判断を正当化するために議論を組み立てる傾向が強いように思う。それがパッケージ上「表現論」でも「反映論」でも、私はそのような言説すべてに賛成しない。